「新反動主義」Part.5: パッチワーク 〜競争的ガバナンスの観点から
似た考え (政府同士の住民獲得競争)
政治哲学者ロバート・ノージックの「メタユートピア」
スコット・アレクサンダーの「群島と原子的共同体主義」
これはヤーヴィンに触発されたものらしい
スペンサー・ヒースの無政府封建主義
ゲーテッドコミュニティ
エドワード・ストリンガムの「垂直的に統合された私有コミュニティ」
Panarchy
Seasteading
政府が競争圧力に服するほど、国民を搾取するのがむずかしくなる
荒木優太(新しい本がでたよ)
@arishima_takeo
アナキズムを村社会の同調圧力への追認とみるのは、間違っている。というのも、クロポトキンなど明瞭に書いているが、中央政府に代替されるコミュニティは複数群生しており、個人は嫌ならば出て行くという選択可能性・移動可能性を確保しているからだ。
アルバート・ハーシュマン
アルバート・ハーシュマンは『離脱・発言・忠誠』(未読)で、組織の関係者が取る行動として、発言を通じて影響を及ぼす発言(voice)と、嫌な組織から離脱する (みんなが嫌な所をやめていいところに行こうとして競争が働く) (exit)という2つの方法があり、前者を主に政治学的、後者を主に経済学的と考えた
しかし一方でハーシュマンは、営利組織でも発言を通して影響を及ぼせる政治学的な側面を持っていること (そしてそのことは組織の改善において必要な役割を持っていること) を指摘したらしい。
それと逆に、カーティス・ヤーヴィンは国家という政治的組織にも離脱を通して改善していく経済的な仕組みを働かせたい、という感じかな。(ヤーヴィンはハーシュマンは読んでいないとのことだけど: )
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I have not read Hirschman, but I am pretty sure I know what I think of it, because I don't regard either "Voice" or "Loyalty" as particularly effective engineering principles even in nonsovereign corporations. Building a sovereign state on them is like building a suspension bridge out of saltwater taffy. My impression is that Hirschman has a case of the democracy bug.
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Posted by: Mencius on April 23, 2007 9:04 PM
株主総会もVoiceだけど
政治単位を細かく分割したさいのデファクトスタンダードの乱立の問題
Exit, Voice
ヤーヴィンは都市国家が住民獲得競争しあうシステムへの移行を考えているのだが、どうやってそんな移行ができるかについては現実的な回答を持っていないように思える。
大きな領土を持つ会社から始めてもスピンオフして小さく分割できるというようなことを言ってるけど、独占に利益があるのにわざわざそんなことをするか?
暴力の自然独占
住民獲得競争において、選択する上では、各地域を比較するための情報が必要になるけれども、その情報はどうやって得るのか
住民獲得において不利になる情報が検閲されたら?
たとえば比較サイトみたいなのがあったときに、それが買収されて役に立たなくならないという保証はあるか
それは普通の比較サイトでも一緒な気がする
ふつう地域独占として問題が生じるのはどれくらいのサイズからなのか。
いくら小さいと言っても、都市大であれば地域独占として問題になってしまうということであれば、都市国家同士の競争というのはそんなに競争として意味がないということになってしまう。
サイズというよりは引っ越しの費用とかだろうけど
主権を持つ単位を地理的に細かくすると、軍拡競争を考慮すると、全体としての軍事支出が大きくなると考えられる。これはヤーヴィンが省庁間の競争で政府介入が増えると言っているのと同じ構造な気がするので、無視できることではなさそう。
Joseph Heath "Rawls on Global Distributional Justice: Defense"によると: どんな国も領土内部で軍拡競争が起こることはない一方、エチオピアが独立したあと、今までは地域でしかなかったエリトリアは領土問題から25%の軍事支出を行うようになり、エチオピアは軍事支出を10%までに増やした。
パッチワークによる地理的な政治単位の分割と、三権分立や省庁の独立性のような政府内部の分割のうち、ヤーヴィンは前者を強く称揚する一方で、後者には激しく反対するけれども、結局2つの種類の分割にそこまで違いがあるわけじゃないんじゃないのっていう
普通のリバタリアン/古典的自由主義者は両方の種類の権力の分立を肯定するわけだし
細かい主権単位と、アナーキーの場合というのはよく似ていて、アナーキーの場合に戦いが避けられないなら、パッチワークでも戦いは避けられないのでは
これは国際社会はアナーキーという話に近い
Tiebout Modelというものによれば競争するコミュニティはフリーライダー問題を解決でき、住民獲得競争によって十分な公共財を提供できることがあるらしい。 Tiebout formalizes the conditions under which exit possibilities lead to states becoming similar to corporations.
Tiebout は、国外離脱できるという条件下で国家が企業と似たようになる条件を形式化した。
この問題は「全ての税を (死荷重がない) 固定資産税(property tax)の単一税にしよう」というヘンリー・ジョージ主義を支持するそぶりを見せていたヤーヴィンにとっては非常に問題だろう 売ろうにも値段が下がってしまうというのは株式を売る場合でも同じような
Tiebout model で最適な公共財が提供できる前提 (英語版Wikipediaより抜粋: )
都市間の移動にコストが無いこと
完全情報
選べる選択肢となる都市が十分にあること
通勤の問題がないこと
公共財が、ある都市から別の都市へスピルオーバーしないこと
スピルオーバーする場合、その公共財は過小供給になる。
最適な都市のサイズが存在すること: 規模の経済
都市は最適なサイズを追求すること
都市は合理的であり、公共悪的消費者を排除すること
都市の金銭的魅力は家の値段という形で現金化できること。家の値段がそこに住むコストとベネフィットを反映すること
問題:
固定資産税: 固定資産税がある場合、豊かな人が公共財を払ってくれるため、貧しい人が豊かな人を追っかける状態が発生する
固定資産税無い場合、全員が同じ税率になること
規模の経済性: 都市は強い規模の経済性を持つもの (国防など) を供給できない。
地価最大化モデル
ヤーヴィンは固定資産税 (Harberger Tax - Wikipedia) をネオカメラリズム政府の財源として提案している。そうすると、政府は地価が上がれば上がるほど税収が上がるので、地価最大化行動を取ることになるだろう。Tieboutの住民獲得競争と似たものかと思ったけど、『基礎から学ぶ財政学』p.184 にはティボーモデルと地方自治体の地価最大化モデルは別のモデルとして書いてある。 地方自治体は公共財を提供する。公共財の便益の分そこに引っ越したい人が増えて地価が上がり、税収も上がる。一方、公共財の費用として使う分、固定資産税が上がり、その分土地の需要減により地価が下がる。それにより、地価最大化行動をするときに供給される公共財の量は限界費用と限界便益が一致する最適な量、らしい (『基礎から学ぶ財政学』p.184 より)
これが一番強力なネオカメラリズムの擁護論なのでは?
固定資産税の場合と、他の税の場合とでどう違うんだろう?
というか上のBryan Caplan の Tieboutモデル批判とはどう整合するんだろう…
地価税のばあい、Tieboutのような住民獲得競争にはならないというのがCaplan の指摘で、『基礎から学ぶ財政学』が指摘してるのは、それでも地価最大化というべつのかたちでいい統治を行うインセンティブがあるってことでは
移住コストが少ない、ということはどちらのモデルでも前提としている。
「地価の資本化仮説」
地方財政理論には公共サービスや固定資産税は地価に帰着するという資本化仮説があり、これに基づく実証分析は多い。
The Tiebout literature is incomplete, this paper argues, because it has not fully accounted for the capitalization of local fiscal variables into house values.
ティボーモデルは増税の土地の現在の価格への影響を考慮していない点で不十分?
ティボーモデルのようにそこに現在居る住人の払う税からの収益の最大化 動機があるだけではなく、地価最大化モデルではそこに引っ越して住みたい潜在的な住民を増やすことで
需要増
→地税増
→ 地価税からの収入を上げる
ことができるってことかな
土地を買うからって住むとは限らないか。とにかく何かしらの理由で土地がほしい人を増やすって感じだね
土地を観光に使うか、工場を建てるとか、とにかくなんでも、儲かる使い方ができるなら土地の値段は上がる
もし奴隷労働が儲かるなら、その土地内で奴隷労働を許したほうが土地の値段が上がるということになりかねない?
土地の値段は土地の所有者にとって持つ価値から決まるわけだから、土地内では土地所有者が絶対権力を持つということを保証するというふうにしたら領土内の土地の値段が最も上がるのでは?
封建制?
まず絶対権力者を考え、その主体が何をするかを考えていたのだけど、「中身に絶対権力者を作る」という再帰的な回答になってしまった。いったいいつまで絶対権力者が中身に絶対権力者を作るというサイクルが続くのか。
政府は安全を保証したほうが、土地の需要は増え、値段が上がるだろう
ヤーヴィンが、ネオカメラリズム政府は不動産ビジネスであり、そこの資産価値を高めるインセンティブを持つ、っていってたのはこういうことか
私たちの論理は、(警察により) 防御された不動産は最も古く、最も重要な資本形態であるということです。つまり、それは生産的な資産です。生産的な資産を管理する責任ある効果的な方法は 1 つしかありません。それは、利益を上げることです。利益を最大化するには、資産の価格を最大化する必要があります。主権管轄区域の価格を最大化するには、その管轄区域内の不動産の価格を最大化する必要があります。不動産価格を最大化するには、近隣地域の魅力を最大化する必要があります。近隣地域の魅力を最大化するには、その地域の生活の質を最大化する必要があります。生活の質を最大化することが、良い政府の目標です。したがって、責任ある効果的な政府は、主権資本主義、つまり新官房主義によって最もよく達成されます。
この辺は地方財政学 (local public finance) の分野になってくるらしいけど、図書館で地方財政学ってジャンルに†暗黒啓蒙†とかあったらおもしろいよね
暗黒啓蒙と地方財政学、暗黒の地方財政学、暗黒財政
すごい黒字っぽくて縁起がいいね
スティグリッツのヘンリー・ジョージ定理
概要: フレイ(2001)他は、複数の政府を1つの領域内で競争させるという提案をしているが、古典的自由主義者〔ここではおそらく無政府資本主義者ではないリバタリアンのこと〕は法執行者間での競争は上手くいかないと議論している。この論文では、市場に基づく一方で、1つの領域に対し1つの法執行主体のみが居て、その所有者が利潤追求のためその財産を警備するという混合的なシステムについて記述する。
客を獲得したい垂直的に統合された私有コミュニティは、そのパトロンが望む形で彼らの財産を警備する必要がある。
暴力の独占はあるけれど、不動産所有者と法執行主体が結びつくことで、法執行者が残余請求者になるため、その顧客を搾取しないインセンティブを与えることができる。
FREY [200 I] and others propose subjecting governments to competition within their jurisdiction, but classical liberals argue that having competing law enforcers cannot work. This article describes a hybrid system that relies on markets but has one law enforcement agency per region, with profit motivated proprietors policing their properties. Vertically integrated proprietary communities wishing to attract customers would need to police their property in a way that patrons desire. Al- though a monopoly on the use of force would exist, bundling law with real estate makes the law enforcer the residual claimant and creates incentives for them to not to expropriate their clientele. (JEL: D 740, H 100. K 400, L 330) (強調は引用者)
ヤーヴィン以前に提起された、ネオカメラリズム的なアイデア。上の記事でArnold Klingが紹介。
エドワード・ストリンガムは、所有者による治安維持などの提供の例としてディズニーランドや、ラスベガスのカジノの私的警察を挙げている。
抜粋・訳: エドワード・ストリングハム:少なくとも著者の考えでは、この論文で提案したシステムは、ノージック(1974)『アナーキー、国家、ユートピア』の最終章と符合するものだ。 メタユートピア = 実験的ユートピア社会同士が競争しあう世界
ヤーヴィンはノージックのアナーキー、国家、ユートピアをフォーマリズムに類似する非中央集権的体制としている
Nozick's Anarchy, State, and Utopia is another decentralist view of the world which is quite similar to formalism, although Nozick still regards states as partnerships rather than as property.
〔タイラー・コーエンによれば〕 つまり、もし保護エージェンシーが紛争解決のために協力することができるなら、同様のメカニズムはそののま共謀するための協力行動を可能にする。(強調は引用者)
共謀というのはカルテルや吸収合併
Cowen, Tyler 1992, "Law as a Public Good: The Economics of Anarchy,"
https://gyazo.com/ef08adb0944a574ba56c8eddb188334e
table: 法律の執行における3つの主要なアプローチ
政府による独占的な法執行 司法管轄が地理的に重なった法執行 私有コミュニティによる法執行
利益のための法執行が許されてる? no yes yes
執行者-原告関係が契約に基づく? no yes yes
執行者-被告関係が契約に基づく? no 必ずしもそうではない yes
非契約的法執行主体の数 1 (国は196個あるのではw) 制限なし 0
契約的法執行主体の数 1 制限なし 制限なし
法執行者は領域の残余請求者か no 〔ほんと?〕 no yes
実例 現代の政府 「中世アイスランド、 「ラスベガスの民間警察、
19世紀のアメリカのピンカートン、 ディズニーランド、
現代アメリカの賞金稼ぎ」 大学のキャンパス」
※「司法管轄が地理的に重なった法執行」は無政府資本主義
Peter Leeson "New Paper on Anarchy, etc.", "Anarchy, Monopoly, and Predation"
抜粋・訳:ゲーム理論の「フォーク定理」は、将来のビジネスをダメにできるシステム〔訳注: 無限繰り返しゲームなど〕が政府抜きで協力を維持できる可能性〔訳注: しっぺ返し戦略を参照〕を示している。この定理に根ざした制度によって個々のプレイヤー自身で施行される秩序 (self-enforced law) ができて、交易(協力)が維持できるようになる場合は色々とあるが、この協力を生み出す可能性は無制限というわけではない。特に、あるエージェントが他のエージェントより物理的に強いと、フォーク定理は機能しなくなってしまうことがある。ストリングハム(2006)の垂直的に統合された所有権コミュニティは、オーナーが居住者から収奪しないためにフォーク定理に頼っている。これは革新的ではあるけど、うまくいかないということを示そう。独占的オーナーは自発的契約を破って、居住者(借地人)から任意に強奪して、利潤を最大化できてしまう。 収奪自体は税の一種と解釈できるけど、約束通りでない形でできちゃうのが良くない?
離脱の自由がどうにかして確保できないとうまくいかないのかも
私有コミュニティがガバナンスを提供するスペンサー・ヒース的アナキズム (無政府封建主義)
ここではハンス・ハーマン・ホップとスペンサー・ヒースは insular かつ leasehold (個々人が家を持つのではなくアパートやゲーテッド・コミュニティから借りる) で同じ枠になっている
ゲーテッド・コミュニティ(城壁住宅街)、領土的財
ある財・サーヴィスの消費・利用が、主として一定の地域に限られており、この領土への出入りが管理可能であるとき、この財は領土的財となる。地域への出入りが統制できるからこそ、この財は排除可能性を帯びるようになり、市場による供給が可能となる。
「市場の失敗」論は、しばしば、公共財(と定義される財)の消費から非排除性を仮定するところから出発している。ところが、領土的財に注目すれば、この「市場の失敗論」を論駁することは容易である。というのも、領土的財の供給者は、地域に出入りする者に「入場料」などを要求することができるので、公共財(と定義される財)は実は排除性を有しており、しかも民間企業はその供給から利益を得ることも可能だからである。
アスキュー・デイヴィッド「城壁住宅街と治安―リバタリアニズムと治安の保障」
公共財の定義には、排除性だけでなく、競合性もあるけど
(市場の失敗論を論駁するのは容易というのは、言い過ぎでは)
映画館とかディズニーランドとかも領土的財?
法や公共サービスといった取引が難しい財も、出入りが管理可能で合意に基づくものであれば、領土的財という課金可能な財にでき、自由な選択、競争ができる
※このArnold Klingは、「新反動主義」という言葉の名付け親である経済学者である。
インターネットはパッチワークのようなものだったが、結果的には寡占状態になってしまった。
アナルコ・キャピタリズム (無政府資本主義) vs. ネオカメラリズム
無政府資本主義は、政府を民間警備サービスに置き換えて警備を享受する人が自由に選べるようにするという提案である。
無政府資本主義では政府は不当だけど私企業や地主は正当なんだから、私企業/地主と政府の何らかの道徳的に有意味な区別を設ける必要がある。候補としては:
独占(競争が働かない)なのが悪い
暴力・強制自体が悪い
暴力・強制や独占がそれぞれ単体として絶対ダメってわけではないが、暴力を独占するのは悪い
(= 主権が悪い)
暴力を自然独占のような形で独占することは悪くないが、暴力で独占を強要することがよくない
無政府資本主義であっても一定の土地を自力で防衛する組織が全てダメということではないはずである
水道サービスを家の賃貸とセットにして (bundle) 提供することがあるように、(既に行われているが) 住宅や団地、ゲーテッドコミュニティなどと、警備セキュリティとをセットにして提供すると良いと考える無政府資本主義者もいる (Bryan Caplan) 無政府資本主義者は企業が領土に自分自身の労働を混ぜて得たわけではなく、過去の戦争の結果として(時効取得により)持っていることを問題視するのでは
つまり偶然にも広大な大地を耕し己の労働を土地に混ぜたか購入して都市国家大の領土を手に入れたなら、無政府資本主義的に問題のないネオカメラリズム政体ができる
あるいは無政府資本主義者は生まれた子供がその地の契約にしたがうという合意が存在しないのを問題視するかもしれない。(それを問題視するなら子供が親に従わされるのも同様に問題だ)
ネオカメラリズムの独占は、独占と言ってもあくまで地域独占なことに注意。
ハンス・ハーマン・ホップは、国家からの分離脱退 (secession) に基づいて無政府資本主義的な秩序への移行をするという構想を持っている。アメリカ独立がモデルとなる。
いっぽう、ヤーヴィンはフォーマリズム的観点から、アメリカ独立や植民地解放といったことに否定的だ (必ずしも分離独立運動一般に否定的であるのかは分からないが、現状の実効支配者の主張を優先するフォーマリズムからすれば自然な結論ではある)。
ヤーヴィンのリバタリアニズム理解は (所有権に比べ) あんまり競争を強調していない気がする(Fnarglでも良いってことは)。 そもそもヤーヴィンが、主流派経済学における自然独占みたいな概念を理解しているのか怪しい。
ハンス・ハーマン・ホップも、オーストリア学派経済学の考えに基づき、自然独占という現象の存在を受け入れていない。
そうではなく、新規参入者の強制的な排除を以って国家を独占と考える。
ここでの強制というのは、国家が本来自分の物でない領土に対する新規参入者を排除するという意味なので、独占をめぐる考えの違いがあるようにみえつつ、結局の所、所有権をめぐる考えの違いに帰着しそうだ。
ex ante legal competition
ex post legal competition